1987年の「ひざげり」-1
返ってきたのは一人だけだった。こいつは前に書いた都庁に採用されたと自慢の電話をしてきたTKSだ。
その自慢の電話の時に「ひざげりに年賀状出したかって聞いたら、みんなあいつになんか出すわけないだろって言ってたぞ。」とわざわざ教えてきた。どちらも最低だ。
就職1年目の冬のボーナスは手取りで15万円くらいだったか?
殆どフィリピンパブで使った。
この年の春にアフターサービス部門に異動になった。
まだ組み立てラインの仕事もまともに出来ていないのに不安しかないし、慣れた環境が変わるのが嫌なので抵抗したが無駄だった。
この異動は同期のTKNと一緒だった。
異動直前にアフターサービス部門のオジサン二人が酔って寮に来て呼び出された。そこで絡まれた。俺はまだ19歳だ。どうしたら良いのか分からず会社を辞めようかと思った。
そうそう、寮は誰でも入れる感じで印鑑のセールスマンに部屋に居座られたことが有った。
TKNは俺の部屋に居てマンガを読んでいたのだが途中で逃げた。まだ子供だったが何とか断った。今なら両方に切れていたと思う。
その後、泥棒が入った。中途で入ったYMDさんがテーブルの上に置いてあった1万円札が無くなったと言うので総務に言いに行った。その時、TKNは「俺の部屋は金を置いてあったけど無くなってない。」と自慢げに言っていた。
何日か経って仕事中に寮生が食堂に呼ばれた。TKNが焦ってどこかに行こうとするので食堂に行かないのかと声をかけたが、真っ青な顔をしてどこかに行ってしまった。
後で分かったがTKNは現金は取られなかったが通帳と印鑑を盗まれており、全部引き出されていたのだった。現金を取らなかったのは発覚を遅らせるためだったんだろう。
なお俺の部屋は金も金目の物も無かったので何も取られなかった。
YMDさんは週末に車で自宅の最寄り駅まで良く送ってくれた。電車だと2時間半かかるのに高速使うと空いていれば30分で着いた。
異動後も組立ラインの先輩と相変わらずフィリピンパブに通っていた。
その先輩が企画してフィリピンパブの女の子たちを店に内緒で誘って車で日光に日帰り旅行をした。
帰り車内のテレビで第四回世界大会のテレビ放送を観た記憶が有るから12月か翌年の事だったかも知れない。
ちなみに手も握ってない。
コメントの投稿
フィリピンパブとは懐かしい!
Re: フィリピンパブとは懐かしい!
英語とスペイン語が出来れば問題ないでしょう。
自分も実はもてました。太っていると金持ちのイメージが有るのでモテるんですよ。
私は外国語は全くダメで。
正しい日本語も自信ないのに。
今の方がモテますね私は。いや、安心されてるだけですけど。
Re: 1987年の「ひざげり」-1
母国語も有るから三ヵ国語ですよw