少林寺拳法の名称問題。
この争いって自分なりの解釈でラーメン屋の商品に例えると
油そばで有名なお店が2軒有った。
それらは「金ちゃんラーメン」と「不動そば」と言うお店だ。
どちらも油そばはウチの独自の商品だと主張した。
それぞれ、ウチは本場中国の汁なし担々麺を元にしているから本流だと説明した。
結局、「金ちゃんラーメン」は油そば、「不動そば」は油まぜそばと言う商品名にすることで和解した。
って感じかな。
少林寺拳法その2
不正競争防止法判例データベースにあった。
判例ということは和解した件とは別件だ。
双方の求めた裁判
(原告)金剛禅
1被告(不動禅)は「少林寺拳法」または「少林寺拳法道院」なる文字を含む表示を用いてはならない。
2訴訟費用は被告(不動禅)の負担とする。
(被告)不動禅
1原告(金剛禅)の請求を棄却する。
2訴訟費用は原告(金剛禅)の負担とする。
に対し
主文
1 被告(不動禅)は自己の拳法普及事業またはこれを行う施設を表示する名称中に「道院」という用語を使用してはならない。
2 原告(金剛禅)のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、原告(金剛禅)の支出した分は原告(金剛禅)の、被告(不動禅)の支出した分は被告(不動禅)の、各負担とする。
と言う判決が出た訳か。
この裁判により不動禅は道場を道院と称することが出来なくなったわけだ。
和解の条件とはべつだったか。
原告(金剛禅)の請求原因(抜粋)
>原告(金剛禅)はその名称「社団法人日本少林寺拳法連盟」をみても明らかなとおり前記事業を表わす名称として「少林寺拳法」なる名称を使用し、事業または施設を指す名称として「少林寺拳法道院」なる名称をも使用している。
>これらはおそくとも昭和二五年頃には日本国内において広く認識され周知となつている。
>すなわち、
一 中国には古くから天竺僧菩提達磨が印度から禅門の行として伝来したと伝えられる拳または拳法という武技があつた。これは羅漢の拳ともいわれ、わが国でもごく一部の者の間で中国の嵩山少林寺で拳技が行われていたということで知られていた。これが「少林寺の拳」とか「少林拳」とかいわれていたもので(ただし、「少林寺拳法」といわれたことはない。)、これはやがて山門を流出し、各流派に分れ、義和門拳、白蓮門拳、太極拳等と称されるようになつた(したがって、「少林拳」とはこれら分派された拳法の上位概念、総称であると解するのが正しい。)。
少林寺拳法と言う名称は中国拳法の名称では無い。
少林寺の拳とか少林拳と言われていた。
そして各流派に分かれた拳法の総称が少林拳って事。
>しかし、これらの拳技はやがて清朝に弾圧され、西暦一七三〇年代以降は保健体操の形で細々と伝承されるだけになつていた。
そして、日本では戦前中国の拳技を軽視してきたため、わずかに歴史的な伝承またはフイクシヨンとして少林寺の拳または少林拳なるものがあるといつたていどのことがごく一部で伝えられていただけで、それはおよそ実体を伴わぬ武技を指称する用語にすぎなかつた。このことは日本で空手または唐手が柔道と並んで具体的な内容を持つた武術として広く知られていたことと好対照をなすものであつた。
1730年以降は保険体操の形で細々と伝承されていただけで、日本では戦前の中国拳法を軽視していた。
>二 ところで、【P1】は昭和のはじめ頃から中国東北地方(旧満州)に渡つていたもので、そのさい前記白蓮拳や義和門拳の生き残りの達人から拳技を教えられ修行をつんでいた。そして、終戦後帰国し、日本人の人心の荒廃を憂い昭和二二年原告肩書地に居を定め、そこでかつて中国で修得した各種拳技を総合整理し、自ら剛法柔法整法の三法六百数十の基本技をあみ出し、これを「少林寺拳法」と名付け、
かつ右名称をもつて自己の行う前記普及事業をも現わすものとした。なお、【P1】はその後昭和二六年一二月二五日宗教法人總本山少林寺を設立し、その管長に就任した。
以上の次第で、「少林寺拳法」という名称は、昭和二二年頃日本においてはじめてほかでもない【P1】の創設した拳技およびその普及事業を指すものとしてその具体的な実体を有する固有の表示名辞となつたものである。
宗道臣が昭和の初め中国で生き残りの達人から中国拳法を習い、帰国後、それに自ら編み出した基本技を加えて少林寺拳法と名付けた。
>かりに、かつて日本でも「少林寺拳法」なる語があつて他の何らかの意味を有していたとしても、少くとも、それはその後右のような事情からして、ほかでもない【P1】の拳法またはその普及事業を指す表示として特別顕著性、自他識別力を有するようになつたものである(いわゆるセカンダリミーニング)。
仮にそれ以前に少林寺拳法と言う言葉が存在していたとしても、宗道臣が作り上げた少林寺拳法及び名称は独自のものであると。
>三 また、「道院」という語も従来わが国では用いられたことのない語で、ただ中国においては古来道教の修行場という意味で用いられていた言葉である。ところが、【P1】は中国ではじめて拳を教わつた場所がたまたま道院であつたのにちなんで、自己の草創した「少林寺拳法」の練成を行う場所をとくに「道院」と名付けた。
このようにしてわが国では「道院」という名称もまた【P1】がはじめて「少林寺拳法」という武技と結びつけこれと同時に案出した独得の表示である。
道院と言う言葉も日本には無かった言葉で中国の言葉である。
宗道臣が中国で拳法を教わった場所が道院と言う名称で、それに因んで少林寺拳法の修行の場を道院とした。
だから宗道臣のオリジナルだよ。
被告(不動禅)の答弁
>原告の主位的請求原因(不正競争防止法に基くもの)1のうち、原告がその主張のような名称を称し肩書地に主たる事務所を有する社団法人であることは認める。
しかし、原告の事業が不正競争防止法1条1項所定の「営業」であつて同法条項の保護を受けるものであると主張する点は争う。その余の事実は不知。
同2のうち、その一で中国における拳技の伝来および中国では河南省在の嵩山少林寺で行われていた拳技を「少林拳」と称し、「少林寺拳法」とは称していなかつたと主張する点は認めるが、その余は否認し、または争う。
同3のうち、被告が現在自らを原告主張のように称し、号し、肩書地の道場で拳技を指南教授していること、被告が昭和三九年以降自らの拳技を「不動禅少林寺拳法」と称し、かつこれを指南教授し普及するにさいし「不動禅少林寺拳法道院」「日本古伝總本山不動禅少林寺拳法道院」という名称表示を使用していることは認める。その余は否認し、または争う。
同4および5は否認し、または争う。
原告の予備的請求原因(氏名権を理由とするもの)も否認し、または争う。
金剛禅の立場はその通り。
でも不正競争防止法で言う営業じゃ無いんでは?
中国に少林拳は有っても少林寺拳法ってのは無かったのは確かにそう。
ウチが不動禅少林寺拳法って名前で道場を「不動禅少林寺拳法道院」「日本古伝總本山不動禅少林寺拳法道院」って名前にしてるのはその通り。
被告の反論と抗弁 (抜粋)
(反論)
>2 原告の事業表示について 「少林寺拳法」という名称はなにも【P1】が創出した固有の名称ではない。原告の行つている拳法は「金剛禅少林寺拳法」というときはじめて自他識別力ある表示となるものである。のみならず、原告の拳法は通常「四国の拳法」とか「金剛禅」とか称して被告の不動禅少林寺拳法と区別されているのが実情であつて、「少林寺拳法」という普通名称を原告のみが独占使用するいわれは全くない。「少林寺拳法」が普通名称であることは後記(抗弁)の1でも述べる。
少林寺拳法って名称は宗道臣が作ったもんじゃないよ。金剛禅少林寺拳法って名前にして初めて他の拳法と区別がつく。
通常、四国の拳法とか金剛禅って呼ぶことにより不動禅と区別がつく。
だから金剛禅が少林寺拳法って名前を独占する謂れはない。
>そもそも、【P1】(旧姓〇〇〇〇)は、昭和二二年当時は自己の拳法を「北派拳法」とか「日本北派少林拳法」とか称していたのを、昭和二六年になつてそれまで自己が主宰していた宗教団体「黄卍教団」を「宗教法人總本山少林寺」に改組したさいに「金剛禅少林寺拳法」と改称したのである。しかも、【P1】の拳法は、
後に述べるとおり、実は何ら禅宗ことに金剛禅とは関係のない内家拳(これも後述)のそのまた亜流なのである。
宗道臣は昭和22年当時は北派拳法、日本北派少林拳法と言う名称を使っていて、昭和26年に金剛禅少林寺拳法と改称した。
しかも実態は金剛禅とは関係ない内家拳のそのまた亜流。
>「道院」なる名称にしても、一部原告自身も認めるとおりもともと道学、儒学を修める者の修業場所をいい、これを別名「道館」ともいう。したがつて、その名称に特段事業表示または営業表示としての自他識別能力があるわけではない。なお、
仏教の場合は修業の場を「道場」というのであるから(比叡山の根本道場、永平寺の修練道場を参照)、もし原告が自己の拳法を金剛禅の修業としての易筋行であると称するのであれば、その施設はむしろ「道場」と称するのが筋道であろう。これに対し、被告は仏門に入らぬいわゆる野僧としての立場から不動禅の易筋行を行うものであるから自己の拳法普及事業またはその施設を「道院」というのが適当なわけである。
道院と言う名称は道学、儒学の修行の場を言う。だからこれに独自性はない。
更に仏教の場合は修行の場を道場と言うんだから、金剛禅の修行の場ならむしろ道場って言うべき。
そして不動禅は仏門に入らないで易筋行を行うのだから道院と称するのが適当だ。
>3 被告の事業表示とその類似性について一 被告が自己の拳法普及事業を「(日本古伝總本山)不動禅少林寺拳法(道院)」と称している所以は次のとおりである。
そもそも拳法なる武技は釈迦より二八代目の達磨大師が中国河南省の嵩山少林寺において布授したもので、これがいわゆる「少林拳」である(なお、【P1】は昭和二四年発行の著書「少林寺拳法入門案内」において四川省の嵩山少林寺を訪ね印可を受けたように記しているが、この誤りは自らの欺瞞を示す証左といえる。)。
拳法は達磨大師が嵩山少林寺で布受したもので、これが少林拳だよ。
宗道臣は自分の著作で自ら四川省の嵩山少林寺で印可を受けたように書いてるけど、これ間違ってるし、だから怪しいよね。
>日本には大智禅師が西暦一三二四年その技を持ち帰り、これを「不動禅少林寺拳法」と称して布授した。そして、その技は右大智禅師を始祖として、第一代禅古師から始まり嫡々継承されその第三一代(野僧としては第一五代)を【P9】師という。
日本には大智禅師が1324年に少林拳の技術を持ち帰り、これを不動禅少林寺拳法と言う名前で布授した。
それが継承されて来た。
>被告は長崎県に生れ大正一一年(被告六才の時)法城山光宗寺(現在北高来郡<以下略>在)で不動禅の教えを受けるとともに、当時同寺に身を寄せていた野僧【P9】師からその易筋行として右不動禅少林寺拳法の伝授を受け、その後も厳しい修業を続けた結果、兵役をおえた後である昭和一五年にやつと不動禅少林寺拳法の印可を授けられ(第三二代、野僧としては第一六代)、翌一六年には法嗣または宗家の継承を許され、【P5】と号することも許されたのである(この頃被告は二六才ぐらい、【P9】師は七三才ぐらい)。被告はそのさい【P9】師から如意棒、達磨像および数珠を受領し現にこれを保管しているが、その数珠の納められている桐箱表には「不動禅少林寺拳・高祖廿九代祖師・云々」と墨書されている(なお、ここに廿九代とは野僧一三代【P10】のことである。)。
これによつて、被告の継承している拳法こそ正統の不動禅少林寺拳法であり、その普及事業の名称を「不動禅少林寺拳法道院」とし、時に冒頭に「日本古伝總本山」を冠するのが当然であることが明白であろう。
種川臥龍は大正11年から不動禅の修行を始め、昭和16年に宗家の継承を許された。
その際に師から如意棒、達磨像、数珠を貰いそれが入った箱に「不動禅少林寺拳・高祖廿九代祖師・云々」と墨書きされている。
だから種川臥龍が継承している拳法が不動禅少林寺拳法であること他が明白だ。
>そして、被告は再度兵役に服し(インパール作戦に参加)、戦後昭和二一年八月大阪の肩書地に居住し、以来古伝正法の不動禅少林寺拳法の普及につとめてきたものであり、現在は本部(肩書地所在)と国内支部二四、海外支部若干(ロスアンゼルス等)を擁し、またこれとは別に大学高校のクラブも一三(一、五〇〇人)を数え、被告の拳法修得者は三万人余にもなつている。もつとも、被告は原告のように武道の精神を離れた宣伝活動や政治的活動をしないため、その事業収支は地味なもので、入門登録料(一人三、〇〇〇円)、布施(月謝のことで一人一、五〇〇円)、寄付金等を収入とし、これにより道院維持費、事務費(奉仕費という)、大会費用、社会福祉行事参加費、被告の生活費等をまかないほぼ収支相償つており、
赤字が出ると後援者有志の特別寄付を仰いでいるぐらいである。したがつて、およそ被告は不正競争防止法が適用されるような営業を行つているものでもないわけである。
大して儲かって無いから、不正競争防止法が適用されるような営業では無いよ。
>二 以上のような次第で、原告の「金剛禅少林寺拳法(道院)」という名称と被告の「不動禅少林寺拳法(道院)」という名称は冒頭の三文字によつて判然と区別されうるのであるから両者に類似性はない。
以上の通りで、金剛禅か不動禅かで区別が付くから問題ないと。
>このことは次のような事実によつても裏付けられる。すなわち、【P1】は昭和三九年七月物品類別二六類印刷物、書画等に関し「金剛禅少林寺拳法」と「不動禅少林寺拳法」との二つの商標登録の出願をし、昭和四〇年四月一二日ともに公告され同年八月一八日登録されたのであるが(後者は明らかに被告を意識した使用の意思もないのになされた悪質な出願であるが)、いずれにせよ両者とも互いに独立して登録されたということは、特許庁が事業(営業)表示に関するものではないが、
物品を表示する商標の場面において、両者は類似せず互いに識別可能であると判断したことを示すものにほかならない。
また、金剛禅が「金剛禅少林寺拳法」と「不動禅少林寺拳法」との二つの商標登録の出願をしいずれも登録されたのは、特許庁が別々のものだと判断したって事でしょ。更に言うと使わせないために金剛禅が「不動禅少林寺拳法」の商標登録するのはずるいよね。
>4 混合の有無について 原、被告の表示に類似性がないから両者を混同することはありえない。ことに、
被告は前記のとおり戦後一貫して大阪で自己の拳法の指導教授にあたつており、少くとも昭和三九年以来大阪で「不動禅少林寺拳法」といえば被告の拳法であることは明らかである。これに対し原告のそれは前記のとおり普通「金剛禅」とか「四国の拳法」といわれており、混同など生ずるおそれもない。すなわち、被告は昭和三九年一〇月九日大阪祭協会、大阪読売新聞社、読売テレビの主催で大阪球場で開催された大阪祭参加の「日本武道祭」に出場したときから一貫して「不動禅少林寺拳法」と称してきた。そして、その後も同一名称で大会を開き、万博の前夜祭その他各地の武道大会に出場し、新聞やテレビで広く報道されてきた。また、被告は昭和四〇年に東宝映画「姿三四郎」の演技指導をし、昭和四五年には東京フジテレビの「御前試合」(六〇分番組)にも出演しこれは全国に放映された。このように被告の拳法またはその普及事業こそ周知であつて、よほどのものでないと原告のそれと混同するはずはないのである。
少なくとも昭和39年以来大阪で「不動禅少林寺拳法」といえば被告(不動禅)の拳法であることは明らか。
これに対し原告(金剛禅)は普通「金剛禅」とか「四国の拳法」といわれている。
不動禅は昭和39年10月9日、日本武道祭に出演した時から一貫っして不動禅少林寺拳法と名乗っている。
その後も不動禅少林寺拳法の名称で大会を開き、各地の武道大会に出場し、新聞テレビで広く報道されてきた。
昭和40年に東宝映画「姿三四郎」の演技指導をし、フジテレビの「御前試合」(六〇分番組)にも出演しこれは全国に放映された。
だから余程の事が無いと金剛禅と混同するはずは無い。
ふ―長い。
つづく