花粉症を止める注射。
すぐ察しがついた。ここはB・ジョンナムが
「花粉症を注射一本で治す医者が居るんだ。」
と自慢していた病院だ。
その時はムカついたのですぐネットで調べてB・ジョンナムに事実を送り、落ち込ませてスッキリした。
本当に注射一本で花粉症が治るのなら世紀の大発見。ニュースにならないわけが無い。
注射擁護派は、昔、俺がマルチ商法とは知らずに会った人に勧められた、強い磁力のパッドで貼ると肩こりが治るやつ。これが話題にならないのは、流通すると整骨院が潰れるから厚労省が認可しないからだ。って理屈と同じことを言うだろう。きっと。
ではこの注射の正体は何かというとステロイドの筋肉注射だ。
【ステロイド筋注って何?】
【花粉症にケナコルトの筋注一発!・・・ってどうなのか??】
【花粉症は注射1本で治る?
花粉症に対するステロイド注射治療(ケナコルトA)について】
【花粉症を1本の注射で治療する怖さ。】
【ステロイドの副作用】
【花粉症の注射とステロイド】
ググると簡単に危険性を訴えるサイトが見つかる。
ステロイドには強力な抗炎症作用や免疫抑制作用が有るから花粉症の症状が出なかったり軽くなるのだろう。
しかも筋肉注射で体内に長い期間残るから一発で治ると思われていて。だが副作用もその期間残る訳で、この感染症拡大のご時世に自ら免疫力を落とすのはリスクが大きい。
症状がもの凄く酷いのなら考えどころではあるけど。
なお、リンクは貼らないけど他にもいまだに注射治療をしている病院も見つかった。
どうもそういうところは自由診療でやっていることが多いようだ。
どちらを選ぶかはあなた次第!
あ、ちなみに地元個人医院の口コミに「ハルシオンを出してくれる。」って有ったけどほんまかいな?
tag : コラム
ベルリンのうわの空/香山哲
絵柄が凄く気にいった。
ある日、書店で香山さんの作品が一般に販売されているのを発見した。
それが
【ベルリンうわの空】
だ。
作者と思わしき主人公がベルリンで過ごす日常。
主要な登場人物は動物や物をモチーフにしたデザインのキャラになっている。
これが日常と非日常を程よくミックスさせてくれる。
実際のところは知らないのだが作中のベルリンの人たちは優しい。自然と弱者を助ける姿が描かれている。そこには自主性があり同調圧力が無いのが良い。
そんな感じだったので第二弾のこちらを発見した時は大興奮した。
【ベルリンうわの空 ウンターグルンド】
こちらは期待しすぎたせいか前作ほどは面白く感じなかった。
で、昨夜、ふとkindle版が値引きされているのを発見して、何度も読みたい作品だったので買ってみた。
そうしたら最初と違ってウンターグルンドの方もすごく面白かった。
一体、なんでだろう。
その時の心境にもよるのかも。
いずれにせよkindle版も買って良かった。
tag : コラム
俺と漫画ゴラク。
切っ掛けは電車の中吊り広告で「男の星座」の連載開始の宣伝を見たからだ。
その中吊り広告にはこんな煽り文が書いてあった。
さらば!友よ
梶原一騎
思えば4分の1世紀──25年の余にわたり梶原一騎は劇画の原作を書いてきた。
そして、このたび「引退」を決意した。理由は今更もうクドクド言わぬ。思うところあって、と日本語には奥行の深い表現があるではないか。あえて一言だけ残すなら、あの百恵チャンや都はるみだって引き際を知っていた、いわんや男一匹……。
とにかく、これが劇画原作者・梶原一騎として最後の作品になる。
題して──一騎人生劇場・男の星座。さよう、完全なる自伝である。私の青春遍歴ドラマだからして、当然「巨人の星」「あしたのジョー」「愛と誠」「タイガーマスク」「空手バカ一代」はじめ、私の代表作とされる無数の作品群の母胎とも称ぶべき最終作ともなろう。さまざまの男たちの群像、すなわち「男の星座」を遊泳し、交錯し、その光を浴び、反射し、輝き合うことで私は謂ゆる「男の世界」を描ける作家になれた。成人相手の「人間兇器」や「カラテ地獄変」も同断。
従って力道山が出てくる、大山倍達が登場する、A・猪木もG・馬場も2人のタイガーマスクに至るまで。空手、プロレス界のみでなくプロ球界、芸能界、さらには極道界(?)の男たちも本家・尾崎士郎氏の飛車角、吉良常そのままに。
無論、すばらしき多くの無名の男たちも、否いろいろ世間で噂してくれた女優タレント達のことだって赤裸々に描くつもりだ。友よ、愛する読者諸兄よ、梶原一騎とのゴージャスなる「最後の晩餐」に堪能せよ!
丁度、空手バカ一代にはまった直後だったので物凄い衝撃を受けた。しかも梶原一騎の引退作とある。
俺が空手バカ一代にハマった時点では大山倍達と梶原一騎は決別しており、また、空手バカ一代に登場した極真会館の名の知れた高弟は大概、組織を離れていた。
それだけにこの男の星座でその内情が書かれるのではと期待した。
1985年だから昭和60年、俺が高校三年生の時に連載が始まった。
漫画ゴラクを買うようになったが単行本は見つけることが出来ずに、セブンイレブンで偶然、見つけた時は興奮した。まだ高校生の時だった。
さて、この話をするときりがないので漫画ゴラク本体の方に話を戻そう。
当時はまだヌードグラビアが有り、連載作品も大人向けかつブルーカラー向けの物が中心だった。
買いだした頃に他に連載していたのはバイオレンスジャック、ザ・シェフ、天下の公務員くらいしか覚えていない。ころがし涼太は俺が買いだした後から連載が始まった。
男の星座は1987年に梶原一騎の急逝によりこれからって時に連載が終わってしまったが、それでも漫画ゴラクは買い続けた。
当時、茨城工場の食堂の売店に入荷していたので昼休みに買って読んでいた。
正に娯楽が少なかったからゴラクを買っていた訳だ。
そうは言っても面白い作品も載っていなければ買い続けるのにも限界がある。
男!日本海、今日からヒットマン、そしてなんと言っても、酒のほそ道。
酒のほそ道が有ったから買い続けていた期間が延びたな。
酒のほそ道が始まったのが1994年。男の星座から実に9年も経っている。俺が26歳の年か。
その後、ジャンプ漫画再生雑誌のようになったころには漫画ゴラクは買わなくなっていて、気に入った作品だけ単行本で買っている。
つーか、マンガ雑誌自体、買わなくなっちゃったな。高いし邪魔になるし。
テレビで言うとテレビ東京みたいな雑誌だ。
これからも頑張って欲しい。単行本しか買わないけど。
tag : コラム
設備不良。
そのスケジュールにも言いたい事はあるが済んだ話なのでもう良い。
問題はその給茶機自体の問題。
1.背が低い!カップを置く位置(受け皿)が床から70cm程度しかないので俺は少し屈まないと汲めない。
2.受け皿に排水が無く僅か2cm足らずの深さなのでもしうっかりこぼしたらすぐ溢れる。
3.カップでレバーを押して注水するタイプなのでどうしても飲み口がレバーに付いてしまい衛生的に問題である。しかもこの感染症拡大予防の世の中なのに。
4.お湯を出す際に所定のボタンを三秒以上押してからレバーを押して出すと言う不便さ。
5.以上のことから当然、カップラーメンなんか作るのは無理。そもそも給茶機ってそう言うもんじゃ無いんだけどさ。
しかし、どこでこんな酷い物を見つけて来たのか。
型番でググったらハングルのサイトしかヒットしないからメーカーがどこなのかもよく分からないし。
そのくせフレーバーを増やしました!って自慢げに。
フレーバーが増えたって肝心の給茶機が使いづらかったら意味ないじゃん!
またまた、呆れた話。
この日に揉めた設備の話とは実は給茶機である。
お湯は出るけど冷水が出ない。ま、俺はそれでも問題なかった。
別のフロアではお湯が出なくてポットを使っていた。
結局、この日以降、修理されることがなく一年近く経って、やっと入れ替えになることになった。
その担当者はアマビエさん(仮称)。この人も他の人に負けず劣らずと言うか勝っている位の天然だ。
掲示板に入れ替えが今日明日で行われると出た。出したのはもちろんアマビエさんだ。
そこにはスケジュールに関しては今日明日としか出ていなかった。嫌な予感がした。
午前中、業者さんが来て何かしていた。
昼休み前にお茶を入れようとしたらなんと給茶機の電源が抜かれている。同じフロアの逆側にあるのもそうなってた。
なんでまた皆が一番使う昼休みに使えないようにするのか。
俺はペットボトルの飲み物を朝に買っているし困らないけど、案の定、カップ麺を作ろうとした人たちが困っていた。別フロアまでお湯を使いに行っていた。
ま、アマビエさんには何を言っても無駄なので注意したりはしない。
取り敢えず具体的なスケジュールを聞いた。
今日の午後に撤去して、新しい給茶機は納品されるが設置は明日だと。
なら、なんで昼休み終わるまでは使えるようにスケジュール組まなかったのかなぁ。
で明日は何時くらいに設置するのか聞いたら、全フロア分を10時から設置し始めると。
という事は昼休みに使えない可能性がありますね?
と確認だけして、もう理不尽な事言われたくないから自部門内にだけ周知した。
最初から掲示板に詳細なスケジュール書けばいいのに。
この手の人たちは自分が知っている事は他人も分かっているという思い込みが強いからなぁ。
なおアマビエさんは自分らの側だけポットを設置していた。
探したらそっちの収納棚にもう一個ポットが有ったので一言断って俺らの方に置いた。
まじイライラするわ。
アマビエさんどんだけ話が通じないかと言うと、
アマビエさんが本件においてウチのフロアに有る給茶機と1階下のフロアにある給茶機が同じ機械だから同時に交換すると言うので
俺「同じ機械なんだ。」
アマビエさん「メーカーは違うけどね。」
俺「メーカーが違ったら同じ機械じゃないでしょ?」
アマビエさん「あ、メーカーは違うけどやることは一緒だから。」
そりゃ両方とも給茶機なんだからやることは一緒だろ。
言葉だけで言えば同じ「同じ」でも、ポイントがずれまくっているのですれ違いコントみたいになる。
傍から見れば笑えるかも知れないが、職場の実務に関してなんでもこんな感じなのでため息しか出ない。
ニューラーメンショップ浦安冨士見店
今日の昼飯、ラーメン二郎一之江店に行こうかと思ったけど臨時休業だったり待機列が長すぎたら嫌だな。天気も良いし自転車にそこそこ乗れる距離の店が良いなと。
で、二郎がダメならラーショだ。浦安冨士見店なら駅から歩くには遠いから自転車で行くのに適しているだろうとここに決めた。万が一やってなかったらどこか別の店にすればいいし。
自転車コキコキ、結構、距離ある。Googleマップで調べると3.9km、自転車で16分。実際には道が分かりづらいしスマホを固定しておく器具も無いから止まっては地図見て行き過ぎて戻って20分以上かかった。
やっと店に着いた。やってた。食べログで掲載保留になってたから不安だったんだ。
スタッフは老夫婦。ギリ席が空いていたのでセルフの水を汲んで着席する前に上着を脱いでいたらお店のオジサンが段ボール箱の上に上着を置けばと言ってくれた。
着席してタイミングを見計らってオバサンに注文。ネギチャーシュー麺にライス(800円+200円)を。ちょうど1,000円だ。
注文してすぐトイレに。トイレまで行くのに床が油で滑るのはラーメン屋あるある。
さて着丼。ん?ライスこれで普通盛りか。少ないな。ご飯はお店の方がご高齢の場合によくある柔らか目。
ワカメやチャーシューをスープに沈め味を染みさせる。ネギチャーシュー麺のスープはぬるいものの、しょっぱ過ぎず葱が美味い。やはりラーショに来たら葱入れないとな。


後から来た地元の常連らしきオジサン店に入った時からずっと喋っている。お店の人に話しかけているのだがオジサンは反応しない。良くいる自分は常連だと思っているけど店には嫌われている客かなと思っていたらオジサンが
「こっちは仕事してるんだから話しかけんなよ。」と。
確かに邪魔だ。
やっぱ嫌われている人なのかと思ったがこのオジサンが食べている時に店のオジサンが
「飯出せ」
って言ってライスにチャーシューの切れはしを乗せてあげていた。
地元の常連中心の店みたいでなんか良いなと思いながら俺が食べ終わりそうな頃に4人家族が来店。
奥に三席、俺の左に一席、右に二席の空き。俺がずれたところで三席繋がるだけだし、もう食べ終わるし声かけるまでも無いなと思っていたら、この家族のお父さんが奥さんに「ここ四つ空くぞ」と。
なんで後、少し待てなかったのかな。折角、良い気分で食べ終わるところだったのに。
残念な気持ちで店を後にした。
でもお店の方々はほんわかして良かったからまた来よう。

船橋市場の食堂
その中で気に入っているものがいくつかあるが、それらの二つが繋がった話。
その1
「店は人生そのもの」父と作った味を今も…女将が守る継承の味(2020年11月2日放送「news every.」より)
これの11:20辺りから始まる先代から継承されたカボチャの煮付けに注目。
この店主さんは若い身空で親族でも無いのにこの食堂を引き継いだ際に教わった。
その2
市場で見つけた名物食堂
これの8:35辺り、ここでその1のカボチャの煮付けが出てくる。
たまたま継承された人の映像を観た後に先代の若いころの映像を観て、なんとも言えない感動を味わった。
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UWFに見た夢-9
性懲りもなくそう思った。
それはUWFもプロレスだったんじゃんと気づいてしまったのと同じテレビ放送を観たから。
それがこの番組だ。
テレビ放映がいつだったのか憶えていないが、興行は1990年5月4日だと下記ブログで分かった。
プロレス試合結果データベース
この中のフライVS安生で、フライの強烈な膝蹴りで粘度の高い涎を垂らす安生。
前田の重い蹴りでダウンする船木。そして試合直後に前田が船木に耳打ち。
この耳打ちは「真剣勝負やるにはまだ時間がかかるから少し待て。」と言う説教だったのでは無いかと想像した。
オランダの非プロレスラーが定期的に出場すれば真剣勝負をするのも夢ではない。
と妄想が広がった。
だが、そんな妄想もすぐに打ち消されそうになる。
UWFの経営陣に不信感を持った前田が帳簿を見せろとフロントと揉めた挙句、神社長から出所停止処分を受けたのだ。
これが1990年10月25日の興行の後のことだった。
きな臭くなってきた。これじゃ真剣勝負どころじゃない。
1990年12月1日の松本大会にて選手が一致団結し、出場停止処分中の前田をリングに呼び入れ万歳三唱。
1990年12月7日に神社長が全選手解雇(正確には契約解除であろう。雇用はしてないよな?)。
これで逆に選手の結束が固くなったと思いきや、結局、選手たちも解散してバラバラになってしまった。
プロレスから真剣勝負(競技)への期待はここに置いて一旦、打ち消されたのだ。
シフト予定
メールでファイルを送るのはグループリーダーの案だったようで、結局、ファイルを直接、各自が直してその旨、グループリーダーと部門長にメールで連絡することになった。
未読メール4桁の部門長にメールで連絡って正にナンセンス。
自分が知りたい時に知ることが出来れば良いんだろうな。
***************************************************
去年の緊急事態宣言時より職場では、在宅か出社かのシフト予定を部門長に出すことになっている。
翌週分を前週の木曜日までにExcelの表に各自が入力して、それをグループリーダーが部門長に送り、部門長が各グループの予定をコピペし前週の金曜日までに対策本部に送るルールだ。
ある時から2週間単位でシフト予定を入力しろと部門長が言い出した。
俺みたいに原則、毎日出社している人間は良いが他の調整して在宅勤務もするようにしている人は会議や打合せ等の予定が後から入る事が多いので翌々週まで入れても変更になってしまうと言っていた。
案の定、週に何度も変更になりますと言う連絡が来るようになった。
そもそもなんで部門長がこんな変更をしたのかと言うと2週間単位で対策本部に報告するので、今週に来週の分をコピペして、翌週に再来週の分をコピペするのが面倒だからまとめて2週間分報告させれば良いという子供のような発想だ。
自分が面倒なことを無くすために部下に面倒さを押し付けるだけではなく、変更になることが当然の自体にしてしまうという愚策。
だったら2週間分集まってからコピペすりゃいいじゃんと思うのだが、ファイルを二週間分×2グループ=4個、開けるのが面倒と言う発想。
もっというと部門内に2グループしか無いんだから、同じファイルに部門全員が入力すればコピペの手間が省けるのにそうはしない。
んで、先日、あるメンバーが部門長に後から予定が変わって出社になることが多いんじゃないかと言われ
「2週間先の予定なんて変わるからそうなりますよ!」
と言い返したそうだ。
そもそも部門長が主催の打合せで出社になることも多いのに、二つの物事が頭の中で結びつかないのが部門長なのだ。
そして遂に、シフト予定が変わったらその都度、変更部分を赤いフォントで書き換えて部門長とグループリーダーに送る事。というお達しが出た。バカらしい。
部門長がコピペの手間を面倒がらずに一週間単位に戻せば良いだけなのになんでこうなるのかと。
まあ、どうせ毎日のように修正のメールが来たら面倒がってこんなこともすぐ止めるだろう。
で、こんな無駄に面倒な事になってまで対策本部に報告しているシフト予定だが、どう取り扱われているかと、先日、俺の横で話をしていたから聞こえたのだが、ある部門の部門長に対策本部のメンバーが
「〇〇さん、そちらの部門の××グループのシフト予定、もう3ヶ月も報告が無いんですけど。」
だとさ。
この程度のものをガツガツ部下に無駄に負担をかけて自分は優等生で居ようとする上司なんて要らない。
「もつ焼き でん」の創立者は誰か?
「もつ焼き ウッチャン」と「もつ焼き でん」。
ここでは内田克彦さんがT&T社が経営する形で「もつ焼き ウッチャン」を開店し、独立して「もつ焼き でん」を開店したと結論付けた。
しかし、待てよ。でんに行った直後にネットで検索したら別人が店長としてヒットしたよな。
そしてその人は確かにお店にいた。まだ若くて目が鋭かったのを憶えている。
それがこの人、山田英季さんだ。
思わず立ち寄りたくなる絶品もつ焼き屋![第4回] 2012/10/26
こんな笑顔じゃなかったと思うが、まあ仕事中と取材の撮影の時が違うの普通だろう。
ここに
>この方は店主の山田英季(やまだひですえ)さん。
と書いてある。
店主!?店主と言ったら一般的には経営者の事を言うよなぁ。
山田英季さんのプロフィール - ほぼ日刊イトイ新聞 2011?
こちらには
>2008年には友人ともつ焼き屋を新宿にオープン。
と書いてある。
これ「ウッチャン」の事だよな。
この友人が内田さんって事か?
内田さんの事を書いた記事を見てみよう。
「もつ焼 でん 戸越銀座店」:おじさんは裏切らない、料理も店もシンプルに直球勝負 2019/6/5
>「もつ焼 煮込み でん」を展開する株式会社田の社長、内田克彦さん
>第1号「でん水道橋店」を2012年6月に開店して以来、商売は繁盛し
>新宿思い出横丁に「もつ焼 ウッチャン」という人気店があるが、そこは内田さんが「伝説への扉」に提出した企画書の内容のままに開いた店だ。
第760回 株式会社田 代表取締役 内田克彦氏 2020.12.22
>石井誠二氏が率いる「八百八町」に転職。石井氏の下で、修業を重ね独立し、カフェを立ち上げるがうまくいかず、44歳の時に「際コーポレーション」の門を叩く。中島武氏の下でも就業を重ね、49歳の時、もつ焼「でん」をオープンし、2度目の独立を果たす。
うーむ、二人のエピソードがバッティングしているように見える。
山田さんのエピソードをいろいろ検索してみた。
|料理家のご馳走モノ| 山田英孝さん 2016/4/20
>フレンチ、イタリアンでシェフを歴任した後、もつ焼き屋「でん」を開店させる。
親から受け継いで大切にしているもの 2016?
>フレンチ、イタリアンレストランでシェフとして歴任後、2008年に神田のもつ焼き屋「でん」をオープン。
でんのオープンは2012年だし水道橋を神田とは言わんだろ。
ウッチャンのオープンと混同している上に場所まで間違えている。いい加減な記事だ。
もつ焼きウッチャンがインディーファンクラブに出張出店! 2011/6/26
>写真はウッチャン焼き台で煙るいい男・ダーダこと山田英季君。
山田さんがウッチャンで働いていたことは間違いない。
「バルミューダと過ごす素敵な週末」 2019/3/1
>フレンチ、イタリアン、和食などシェフを歴任後、「もつ焼き でん」の母体となるden inc.を立ち上げる。店舗経営を行うかたわら、
ここにははっきりと経営と書いてあるな。
誕生日パーティー。 2014/11/15
>イケメン料理研究家da-2(ダーダ)こと山田英季も仕事上がりに来てくれました。
近所のモツ焼き屋「でん」のオーナー兼店長でもある彼は
オーナーって書いてある。
「男の胃袋を掴む」のは可能? イケメン料理人・山田英季に本音をきいた! 2011/01/23
>山田さんが料理人をつとめる、新宿・思い出横丁のもつ焼き屋「ウッチャン」の門戸を叩くと、出てきたのは予想していた以上のイケメン……!
>料理家として活動を始める前は、代官山のカフェで働いていたんですが、その頃からこういう店ではよく飲んでました。基本的にのんべえなんですよ(笑)。この店も、当時のカフェでの仕事仲間と立ち上げたんですよ。
Kurashiトップ>料理家一覧>山田英季 ?
>フレンチ、イタリアンレストランでシェフを歴任後、神田のもつ焼き屋「でん」をオープン。2015年11月に、(株)and recipeを立ち上げ、「ごはんと旅は人をつなぐ。」をテーマにしたサイトの運営をおこなう。
これらを時系列に並べてみよう。
可能な限り記事の年月日を特定してみた。
山 が山田さん、内 が内田さんの情報だ。
山 2011年? 2008年には友人ともつ焼き屋を新宿にオープン。
山 2011年1月23日 山田さんが料理人をつとめる、新宿・思い出横丁のもつ焼き屋「ウッチャン」の門戸を叩くと、出てきたのは予想していた以上のイケメン……!
料理家として活動を始める前は、代官山のカフェで働いていたんですが、その頃からこういう店ではよく飲んでました。基本的にのんべえなんですよ(笑)。この店も、当時のカフェでの仕事仲間と立ち上げたんですよ。
山 2011年6月26日 写真はウッチャン焼き台で煙るいい男・ダーダこと山田英季君。
山 2012年10月26日 この方は(でんの)店主の山田英季(やまだひですえ)さん。
山 2014年11月15日 イケメン料理研究家da-2(ダーダ)こと山田英季も仕事上がりに来てくれました。
近所のモツ焼き屋「でん」のオーナー兼店長でもある彼は
山 2015年? フレンチ、イタリアンレストランでシェフを歴任後、神田のもつ焼き屋「でん」をオープン。2015年11月に、(株)and recipeを立ち上げ、「ごはんと旅は人をつなぐ。」をテーマにしたサイトの運営をおこなう。
山 2016年? フレンチ、イタリアンレストランでシェフとして歴任後、2008年に神田のもつ焼き屋「でん」をオープン。
山 2016年4月20日 フレンチ、イタリアンでシェフを歴任した後、もつ焼き屋「でん」を開店させる。
山 2019年3月1日 フレンチ、イタリアン、和食などシェフを歴任後、「もつ焼き でん」の母体となるden inc.を立ち上げる。店舗経営を行うかたわら、
内 2019年6月5日 もつ焼 煮込み でん」を展開する株式会社田の社長、内田克彦さん第1号「でん水道橋店」を2012年6月に開店して以来、商売は繁盛し新宿思い出横丁に「もつ焼 ウッチャン」という人気店があるが、そこは内田さんが「伝説への扉」に提出した企画書の内容のままに開いた店だ。
内 2020年12月22日 石井誠二氏が率いる「八百八町」に転職。石井氏の下で、修業を重ね独立し、カフェを立ち上げるがうまくいかず、44歳の時に「際コーポレーション」の門を叩く。中島武氏の下でも就業を重ね、49歳の時、もつ焼「でん」をオープンし、2度目の独立を果たす。
こうやって見ると2016年辺りまでは山田さんが経営者であるかのような情報が多く、内田さんの情報は見当たらない。
2019年からは内田さんが経営者であると明確に書いてある記事が有る。
また、山田さんの飲食店の経歴はウッチャン以前は具体的な店名などは無く、内田さんの飲食店の経歴は具体的だ。
山田さんが立ち上げたという、den inc.という法人の情報を特定することは出来なかった。
山田さんが2015年11月に、(株)and recipeを立ち上げたあたりから、山田さんの「でん」色が薄くなって言ったように見える。
この(株)and recipeの情報は有った。山田さんの名前も二人いる代表取締役の一人として載っている。
内田さんの株式会社田の情報も見つかった。代表の名前も内田さんだ。
ここから先は俺の勝手な想像だ。
もつ焼きウッチャンは内田さんの企画を採用した際コーポレーション(正しくはT&T社)により設立され、内田さんをメインに山田さんと仲間が集まり運営されていた。
やがて内田さんが独立し「でん」を作った。
そこに山田さんも協力し表面には山田さんが出ていたが料理研究家として成功するにつれ徐々に重心を料理研究家に移した。
その結果、今は内田さんが「でん」の代表として表に出ている。
間違ってたらゴメン。
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